白昼夢

年末年始の一時帰国の後、年明けに再びロンドンに戻ってから丁度1ヶ月が過ぎた。以前(昨年)と比べるとこの街での生活にずっと慣れてきたのを感じる。この状況を、月に降り立った宇宙飛行士に(少々乱暴ながら)例えるなら、地球上の1/3という重力に日々時間をかけて慣れていくような感じだろうか ー 「根本的な『何か』が違う」環境に入ったとき、ここが違う、あれが違う、と違和感を見つけては指摘し、逆にこれは近い、そこも似ているなど、自分のお国のものと似ているものを探しては、結局のところは完全に一致することなどあり得ないという諦めを余儀なくされる。(例えば全く同じ「出前一丁」のカップ麺をこちらで買って食べたとしても、やっぱり何かが違う。思うに、そもそもそれをポンドで買う時点で、まず舌のチューニングがどうしてか変わってきてしまう。)こうした果てしない選別作業を最初は無意識に続けていたのだと思われるが、ようやく「重力の違う星に来たんだから、何もかも違っていて当然」という小さな達観に変わっていった。もちろん、これは一留学生にとっては、大きな一歩なのかもしれない。

一時帰国に際しては、人生で初めて感じるなんとも不思議な感覚があった。3ヶ月の初ロンドン生活の間、年末の一時帰国は本当に待ち遠しかった(今も)。帰国前に滞在時用のSIMカードを選んだり、買っておきたい本をリストアップしたりしているときは思わず笑みがこぼれたし、お土産も普段よりしっかり買った。帰国初日には京急の電車内の清潔さに感嘆したし、セブンイレブンの品揃えには心が明るく豊かになる感じがした。ところが、思っていたよりも驚くほど早くその感動は薄れていって、1週間が経つ頃にはすっかり元の環境に順応してしまった。自分にとって留学に行ってしまうことはあれだけ劇的で人生的で運命的な変化だったのに、あまり変わり映えしない周囲に、肩透かしを食らったような気分になった。大学に行けばそれなりに友人知人や恩師がいて、もちろん「おお、久しぶり!」と声を掛け合い、世間話をしたり時には食事をしたりするものの、自分が一人いなかったところで特に問題なく回り続けている環境に、自分が3ヶ月もの間この国を留守にしていたという実感が大きく揺らいだ。同時に、ロンドンで過ごした日々についても、あたかも長い長い夢を見ていたかのような気分がした。初めははっきりしていた記憶に、次第にもやがかっかていったような気がしなくもない。もしあそこで、「え、ロンドンにいたって?何言ってるの、あなたずっと東京にいたじゃない?」なんて言われようものなら、本気で信じかけてしまいそうにならなくもなかったかもしれない。手元にあるRCAの学生証とオイスターカード(イギリス版のPASMO)が、ほぼ唯一物質的な証拠として、頼りなくその記憶を支えていた。

原因をああだこうだ唱えるのはそう難しいことでもないかもしれないが、一つの解決しなくていいおはなしとして、これを記録しておきたいと思った。さて、二度寝して今見ている白昼夢はというと、これがもう暫くは、覚めてくれそうにはありません。