着手、20/100

博論に着手し始めた。並行して最終プロジェクトも進めているものの、費やしている時間は執筆の方が全然多い。人生に書いたことのない量の文章(大凡4万語)を書き始めるのは、巨大なジグソーパズルをピースから作り始めるような感じだ。どんな質であれ、研究に関するこれまでの書き物の存在が有難い。博士から新しい分野に来て、成果発表というよりは修行的な時間の過ごし方をしてたので出版物こそないものの、学内で必要な年度末レポートは根詰めて書いていた。まずはそれを論文の型に流し込むところから始まった。型そのものも全く固定されていないので、なんだかぶよぶよした塊をいじったり、それに書き加えたりしている感じだ。当然英語で書かなければいけないが、そこは意外と問題になっていない。特別英語が得意なわけではないけれど、研究に関することになると日本語の方がうまく書けない*1むしろ、他所で読んだ綺麗な言い回しを自分の文で使ってみる機会でもあるので、それはそれで高校英作文の続きをやってるような感じで楽しめている。文章を書くと自分の中にあるコトバの範囲に絶望的になることがある一方、コトバが勝手に自分の何歩か先を行くことがある。そのときは不思議な感覚で、また高揚する。よくもまあそんな冴えた言い回しができたもんだ、と書き上げられた一文に素直に驚くことがある。経験上、二文、三文とは続かないようだ。もう少しぐっと、息継ぎを我慢してみれば少し先が見えるのかもしれない。英語だと簡潔な文章がまだうまく書けず、一文がどうしても長くなってしまう。最近博士号を取得した(ネイティヴで物書きの)同僚の文は見事に簡潔で表現力豊かだった。そのクオリティがどうしたら出せるものかと悩ましい。Puwantsのときもそうだが、美術作品というよりは俳句を作っている感じで、なるべく色んな要素がぴたっと調和するように作りたい。文章もそうで、よく響かない文は中身も少ない感じがする*2100ピースのジグソーパズルに取り組んでいるとすると、今出来たのは20ピースくらいだ。

*1:自分に限ったことでは全くない。

*2:皆が喜びそうなふわっとしたことを書けば良いというのとは違う。