博士マラソン折り返し地点

毎年恒例の夏の一時帰国も残すところ1日となり、明後日から3年目のPhDが始まろうとしている。以前のブログにもあるように最初は色々と戸惑いがあったが、休暇ごとに日英を往復する生活にも大分慣れてきた。ただし今回の渡英は、先学期に起こったトラブルのせいでいきなり(ロンドンの)自宅に帰ることができず、少しの間同僚の家に泊めてもらう予定だ。近いうちに何が起こったか書いておきたいが、ロンドンでいくつかの修羅場を乗り越えて人生経験値が上がったような気がしている(悪いことはしてません)。

 

一時帰国する前から以前からのコラボレータに声をかけてもらい、東京での滞在中に今月から出展する新作を再び一緒に制作できたのがラッキーだった。PUWANTSという水中で動く造花のシリーズで、試行錯誤のおかげで新種がかなり増えた。しかも作れば作るほど発展できそうなのが面白い。学部生のときは流体力学の複雑さと美しさに惹かれたが、この作品ではリニアな思考では辿り着けないミラクルが時折起こっている感じがする。渡英のフライトをすでに予約してしまっていたために設営にだけ行けないのが残念だが、作ったものが初めて地元関西で展示されるのは嬉しい。実際に展示場を訪れることができるのは年末頃だろうか。きっと素敵な展示になるのでぜひお越しいただきたい。詳細はこちらから。

miyoshikensho.com

 

ところで、友人の薦めでVALUの利用を始めてみた。VALU保有者向けの優待では、あまり公には書けない(ややシークレットな)情報を提供しているので、ご興味のある方は応援いただければ嬉しい。留学先で出会う色々な景色や、実際行ってみないと分からないようなデザインと研究の実情を共有できればと考えている。

valu.is

 

 

 

 

Notes from the last seminar

The following simple notes are from the last seminar in the School of Design Research where Richard Banks from Microsoft Research Cambridge presented.

1. Unexpectedly, there seem to be quite fewer researchers with design background compared to those from social sciences or engineering. Design PhDs are much rarer. There are some of the graduates from IDE Masters in Microsoft Research where they are expected to take a designerly approach to research. 

2. While they present the outcomes at CHI, there is a tendency for the conference to focus on technological and methodological aspects.  There is a certain limitation to the discussion around the design process i.e. about the artefacts emerged in research, why they were made, etc. RTD (Research Through Design) conference has a more suitable environment for design research where both a presentation and an exhibition take place.

3. There is still an inconsistency in Design PhD in terms of, for example, the criteria they are judged on. Compared to areas where repeatability is guaranteed to some extent such as natural science and engineering, the value and the insight of design research lie in the chaotic, ambiguous, and nonlinear process. This is related to the interview of Dr. Christopher Frayling, the former Rector of RCA, by RTD 2015.

セミナー備忘録

デザイン研究科(School of Design Research)のセミナーでMicrosoft Research CambridgeのRichard Banks氏による講演があった。簡単にメモを残す。

1. Microsoft Researchの中でも、社会科学やエンジニアリングと比べてデザインの背景を持つ人が未だ少数派であることが意外だった。デザインの博士号(Design PhD)を持つ人となれば更に少ない。RCAからはIDE修士を卒業した人が何人か就職していて、デザイナーとしてのアプローチを期待される役職に就いているらしい。 

2. CHI学会に成果を発表することが頻繁にあるが、技術的・方法論的な議論に偏る傾向があるという。研究の中で生まれた人工物そのものや、なぜそれを作る意味があったのかというデザイン過程を十分に議論できないという問題があるそうだ。RTD (Research Through Design) 学会では展示とプレゼンテーションを交えたアプローチが取られており、よりデザインの過程に重きを置いた議論ができている。

3. そもそもデザイン博士は未だ若い領域で、何を以ってして博士号に値するかという基準に一貫性があるわけではない。デザイン研究では、再現可能性が高く保証されている分野(科学や工学)に比べて、より混沌として不明瞭なプロセスの中で生まれる非線形な発見や創造に関する知識が面白いところであり、価値がある。これに関してはRTD学会によるRCAの元学長であるChristopher Frayling氏のインタビューに学ぶところが多い。

royal college of magical muggles

I went to see a cello recital at the Royal College of Music, a neighbour of RCA in South Kensington. The building of RCM faces straight to the Royal Albert Hall. The space in between makes me feel dramatic whenever I walk there, especially in late afternoon.

From time to time I feel like making use of being in London more and dive into to something without thinking much ahead. When I watch the cellist playing, I am inevitably reminded of my experience of playing the contrabass. When he, for example, does arco on the lowest string with an accent, it makes me recall the moment of doing the same action on the contrabass. My mind seems to be somewhat thinking he/she knows how to act like the cellist just because of the comparable shape and scale of the instrument and the akin posture of the player despite there being so much difference in the volume between cellos and contrabasses. Indeed I'm able to more clearly imagine the kinaesthetic sensation when I watch someone playing the contrabass. Interesting how intensely this kind of empathic imagination works even for an amateur player like me.

Another thing I was thinking, or was invited by the music (and the venue) to think, was: whatever kind of objects -music, art, dance, or anything- it is, ideas that are quite unformed in my head start to crystallise vividly during the appreciation of the works. Presumably the senses which cannot be experienced in sitting in front of a desk stimulate the seeds of ideas lying on the bottom of my mind and lift them up to the surface. This sort of ideation seems to work better when the work is not too exciting and interesting to keep my full attention. The similar thing was mentioned by one of my colleagues in Design Research at RCA. He said that he does not see the exhibits in detail but just skims the works and it helps him generate new ideas. Actually the internal exhibition happens very frequently at the RCA, and it takes more than three days if you have a look at all the works seriously in the final show or the Work in Progress show. Something which you know is important yet cannot explain will be collected and make a reaction happen in the mind. 

Once this magical reaction happens, the Shostakovich cello sonata already fades to a BGM-level. All I have to do now is to rush to the studio and try the fresh ideas (or at least just take notes/sketches). Such spark occasionally happens while taking a shower or sitting in a boring meeting or lecture. There seem to be multiple kinds and levels of spark e.g. only a bit of the problem in my research become solved, or a new idea suddenly appears regarding living that I never thought seriously. 

The last and sad fact I must say on this is that writing a blog post seems not the very catalyst to crystallise the magic out. 

Royal College of Magical Muggles

RCAの近所にあるRCM(王立音楽大学)でチェロのリサイタルを聴いてきた。RCMはロイヤルアルバートホールのど真ん前にあって、この二つの建物が対峙する空間は特に夕方以降、なんともドラマチックである。

せっかく縁あってロンドンに暫くいるのだから色んなものを見ておこうと、たまにあまりじっくり考えず飛び込んでみる。チェロの演奏を見ていると自分はコントラバスの演奏経験があるので、それがどうしようもなく想起される。奏者が最低弦をぶんっと鳴らすときには、どうしてもコントラバスの最低弦を同じように鳴らした身体感覚を思い出してしまう。チェロとコントラバスの間には体積的に数倍の違いがあるのに、似たような楽器の形、似たような奏者の姿勢があるだけで、どうも知ったような気になってしまっているようだ。もっとも、コントラバスの演奏を見たときにはもっと鮮明に奏者の身体感覚を想像できる。アマチュアのレベルでもこれだけ作用するのが面白い。

加えて最近確信しつつあるのは、音楽やら美術やらダンスやら何であれ、鑑賞体験の途中でなぜか自分が普段もやもやと考えていることがふと心に現れて、急にいつもより鮮明に見え出すことがある。おそらく机の前に座ってるときには触れられない感覚を浴びることによって、頭の隅の方に溜まっていたアイディアのかすのようなものがふわっと水面に上がってくるのだろう。また、対象にそこまで熱中できていないときにより働くような気もする。デザイン研究科の同僚も同じようなことを言っていた。RCAにいると学内展示が山のように行われる。特に卒展やWIP展(途中経過展)など全部真面目に見ていると三、四日あっても足りない。そこで潔くざっと網膜に映るか否かくらいの軽い程度に展示をスキミングしていると、何故かは説明できないけどそれが大事だとわかっているもの、アイディアの雑菌のようなものが勝手に取り込まれてくるという。

そうなったときにはもう演奏の音は遠くのBGM程度にしか聞こえていなくて、ただ早く研究室に帰って思いついたことを試したい(最低限メモしたい)衝動にかられる。シャワーを浴びているときに急に何かが解ける、閃くといった似た現象もある。退屈なミーティングの途中にふと何か(関係ないことを)思いつくのももしかすると関連があるかもしれない。この種の閃きには色んな種類・レベルがあって、例えば研究の悩みのうちほんの小さなものが一つ解けることもあれば、全く真剣に考えてなかった生活面の何かについて新しい考えが生まれることもある。

最後にもう一つ言っておくべき残念な事実は、ブログを書いているときにはこの魔法はどうもあまり降ってこない、ということである。

 

 

 

 

日記の匂い

たまに自分のブログを見返すと、最近の投稿でさえ物凄く昔のことのように思える。しかも、何故かそれを書いたときに住んでいた家のことが鮮明に思い出される。そのときの家や部屋の色や明るさなど、クオリアという言葉で説明されることもあるが、その部屋の「感じ」が文章から匂ってくる。おそらく読者には届かない匂いだが、自分には鮮明に感じられる。読者には(たとえ必ずしも同じものでなくても)そういった感覚は届くのだろうか。

勘違うこと

第一年度の最後の研究面談が終わって、ようやく夏休みっぽい時間がやってきた。実際は休暇のほとんどを今後の研究計画の執筆に当てることにはなるので生活はほとんど変わらないが、少なくとも「休暇」という響きが多少心を開放的にさせる。そんな中、前のフラットで偶然出会った仲良しの流体研究者と食事に行って話す機会があった。久しぶりの美味しい外食も相まって話が弾み、「研究者とビジョン」という熱の入った話にもなった。そのとき、デザイン・テクノロジー周りのような馴染みのある分野の研究者がどのようなビジョンを唱えてきたかについての感覚は何となくあったものの、流体力学研究者のもつビジョンとなるとあまり見当がつかなかった。そこで聞いた答えを自分なりに要約すると、「何らかの経緯から自分が至った仮説か何かがあって、それがまだ完全に明らかになってるわけではなく、他の研究者が同じようにその問題に情熱を持っているわけではないものの、自分にとってはどうしても追わざるを得ないような、その部分を解明して業界がアッと驚くようなインパクトを残してやりたいというような」野心的な指針であるという。そういうビジョンのある研究者はそうでない人と比べると、求心力や魅力や説得力といった力がまるで違うそうだ。なるほどこれは分野を超えて同じようだ。たまに垣間見える世界があるものの、何か足りてない感じがする。そして、それはどうやら(全てではないにしろ一部分だけでも)自分にだけ姿を現そうとしているように感じる。そういう感覚が、極めて数学的で厳密(そう)な議論の世界にもあるということが面白かった。しかし、一体全体そうした閃きはどうやって思いつくんだろう。同じように研究をしていても、そういった感覚がどこかで持てた人とそうでない人は何が違うんだろうか。最初はただの勘違いだったのが、当人が創ってしまうことでもはや勘違いではなくなる、なんてこともあるんだろうか。