Royal College of Magical Muggles

RCAの近所にあるRCM(王立音楽大学)でチェロのリサイタルを聴いてきた。RCMはロイヤルアルバートホールのど真ん前にあって、この二つの建物が対峙する空間は特に夕方以降、なんともドラマチックである。

せっかく縁あってロンドンに暫くいるのだから色んなものを見ておこうと、たまにあまりじっくり考えず飛び込んでみる。チェロの演奏を見ていると自分はコントラバスの演奏経験があるので、それがどうしようもなく想起される。奏者が最低弦をぶんっと鳴らすときには、どうしてもコントラバスの最低弦を同じように鳴らした身体感覚を思い出してしまう。チェロとコントラバスの間には体積的に数倍の違いがあるのに、似たような楽器の形、似たような奏者の姿勢があるだけで、どうも知ったような気になってしまっているようだ。もっとも、コントラバスの演奏を見たときにはもっと鮮明に奏者の身体感覚を想像できる。アマチュアのレベルでもこれだけ作用するのが面白い。

加えて最近確信しつつあるのは、音楽やら美術やらダンスやら何であれ、鑑賞体験の途中でなぜか自分が普段もやもやと考えていることがふと心に現れて、急にいつもより鮮明に見え出すことがある。おそらく机の前に座ってるときには触れられない感覚を浴びることによって、頭の隅の方に溜まっていたアイディアのかすのようなものがふわっと水面に上がってくるのだろう。また、対象にそこまで熱中できていないときにより働くような気もする。デザイン研究科の同僚も同じようなことを言っていた。RCAにいると学内展示が山のように行われる。特に卒展やWIP展(途中経過展)など全部真面目に見ていると三、四日あっても足りない。そこで潔くざっと網膜に映るか否かくらいの軽い程度に展示をスキミングしていると、何故かは説明できないけどそれが大事だとわかっているもの、アイディアの雑菌のようなものが勝手に取り込まれてくるという。

そうなったときにはもう演奏の音は遠くのBGM程度にしか聞こえていなくて、ただ早く研究室に帰って思いついたことを試したい(最低限メモしたい)衝動にかられる。シャワーを浴びているときに急に何かが解ける、閃くといった似た現象もある。退屈なミーティングの途中にふと何か(関係ないことを)思いつくのももしかすると関連があるかもしれない。この種の閃きには色んな種類・レベルがあって、例えば研究の悩みのうちほんの小さなものが一つ解けることもあれば、全く真剣に考えてなかった生活面の何かについて新しい考えが生まれることもある。

最後にもう一つ言っておくべき残念な事実は、ブログを書いているときにはこの魔法はどうもあまり降ってこない、ということである。

 

 

 

 

日記の匂い

たまに自分のブログを見返すと、最近の投稿でさえ物凄く昔のことのように思える。しかも、何故かそれを書いたときに住んでいた家のことが鮮明に思い出される。そのときの家や部屋の色や明るさなど、クオリアという言葉で説明されることもあるが、その部屋の「感じ」が文章から匂ってくる。おそらく読者には届かない匂いだが、自分には鮮明に感じられる。読者には(たとえ必ずしも同じものでなくても)そういった感覚は届くのだろうか。

勘違うこと

第一年度の最後の研究面談が終わって、ようやく夏休みっぽい時間がやってきた。実際は休暇のほとんどを今後の研究計画の執筆に当てることにはなるので生活はほとんど変わらないが、少なくとも「休暇」という響きが多少心を開放的にさせる。そんな中、前のフラットで偶然出会った仲良しの流体研究者と食事に行って話す機会があった。久しぶりの美味しい外食も相まって話が弾み、「研究者とビジョン」という熱の入った話にもなった。そのとき、デザイン・テクノロジー周りのような馴染みのある分野の研究者がどのようなビジョンを唱えてきたかについての感覚は何となくあったものの、流体力学研究者のもつビジョンとなるとあまり見当がつかなかった。そこで聞いた答えを自分なりに要約すると、「何らかの経緯から自分が至った仮説か何かがあって、それがまだ完全に明らかになってるわけではなく、他の研究者が同じようにその問題に情熱を持っているわけではないものの、自分にとってはどうしても追わざるを得ないような、その部分を解明して業界がアッと驚くようなインパクトを残してやりたいというような」野心的な指針であるという。そういうビジョンのある研究者はそうでない人と比べると、求心力や魅力や説得力といった力がまるで違うそうだ。なるほどこれは分野を超えて同じようだ。たまに垣間見える世界があるものの、何か足りてない感じがする。そして、それはどうやら(全てではないにしろ一部分だけでも)自分にだけ姿を現そうとしているように感じる。そういう感覚が、極めて数学的で厳密(そう)な議論の世界にもあるということが面白かった。しかし、一体全体そうした閃きはどうやって思いつくんだろう。同じように研究をしていても、そういった感覚がどこかで持てた人とそうでない人は何が違うんだろうか。最初はただの勘違いだったのが、当人が創ってしまうことでもはや勘違いではなくなる、なんてこともあるんだろうか。

冬季/陶器

日本はもう暑いらしい。流石のこちらもそろそろ、と言いたいところだが今日に限っては冬のように寒い。特に暖房のきかない時間帯のこの家はとても寒くて困る。何しろ寒いと何にも集中できないし元気がでない。とはいえ、今の寒さに限っては多少希望に向かっている寒さだ。

来年度に向けて、というと少し気は早いものの、新たな住処を見つけて来週頃に引越を予定している。そこまで場所は変わらず、大学にやや近くなる。今の家は目の前に公園があったり、近くに世界一の一つと言われても納得するくらい美味いピザ屋があるところが気に入っていた。ところが、どれだけ凍えるように寒くても1日の半分しかヒーターが入らなかったり、誰のかよく分からない掃除器具から微妙に変な臭いがしたり、シャワーの水が熱湯と冷水をいったりきたりするなど、貧乏学生にとっては修行意識をなかなかに高めてくれる環境だった。来週からは一転して、陶芸家の家主(驚くことにRCAの元教授)の元、何十という陶器に囲まれた素敵な(そして何より暖かい!)場所で過ごすことになるので、良い物に触れながら少しでも感性が鍛えられれば嬉しい。

大学の方はというと、春の休暇の後再びロンドンに戻って一ヶ月と少しが経ったところで、期末試験のようなものが終わった。試験といっても、研究過程を書面とプレゼンで報告するというもの。卒業展示が近づいているのもあって、学内に少しずつ緊張感が満ちていっているのを感じる。多少隔離された博士研究室にいてもそれを感じられるのは、こじんまりした大学だからというのもあるかもしれない。試験後の開放感が残る束の間に、ためていた読み物・造り物をして勘を取り戻そうと思う... の前に、まずは荷造り。

白昼夢

年末年始の一時帰国の後、年明けに再びロンドンに戻ってから丁度1ヶ月が過ぎた。以前(昨年)と比べるとこの街での生活にずっと慣れてきたのを感じる。この状況を、月に降り立った宇宙飛行士に(少々乱暴ながら)例えるなら、地球上の1/3という重力に日々時間をかけて慣れていくような感じだろうか ー 「根本的な『何か』が違う」環境に入ったとき、ここが違う、あれが違う、と違和感を見つけては指摘し、逆にこれは近い、そこも似ているなど、自分のお国のものと似ているものを探しては、結局のところは完全に一致することなどあり得ないという諦めを余儀なくされる。(例えば全く同じ「出前一丁」のカップ麺をこちらで買って食べたとしても、やっぱり何かが違う。思うに、そもそもそれをポンドで買う時点で、まず舌のチューニングがどうしてか変わってきてしまう。)こうした果てしない選別作業を最初は無意識に続けていたのだと思われるが、ようやく「重力の違う星に来たんだから、何もかも違っていて当然」という小さな達観に変わっていった。もちろん、これは一留学生にとっては、大きな一歩なのかもしれない。

一時帰国に際しては、人生で初めて感じるなんとも不思議な感覚があった。3ヶ月の初ロンドン生活の間、年末の一時帰国は本当に待ち遠しかった(今も)。帰国前に滞在時用のSIMカードを選んだり、買っておきたい本をリストアップしたりしているときは思わず笑みがこぼれたし、お土産も普段よりしっかり買った。帰国初日には京急の電車内の清潔さに感嘆したし、セブンイレブンの品揃えには心が明るく豊かになる感じがした。ところが、思っていたよりも驚くほど早くその感動は薄れていって、1週間が経つ頃にはすっかり元の環境に順応してしまった。自分にとって留学に行ってしまうことはあれだけ劇的で人生的で運命的な変化だったのに、あまり変わり映えしない周囲に、肩透かしを食らったような気分になった。大学に行けばそれなりに友人知人や恩師がいて、もちろん「おお、久しぶり!」と声を掛け合い、世間話をしたり時には食事をしたりするものの、自分が一人いなかったところで特に問題なく回り続けている環境に、自分が3ヶ月もの間この国を留守にしていたという実感が大きく揺らいだ。同時に、ロンドンで過ごした日々についても、あたかも長い長い夢を見ていたかのような気分がした。初めははっきりしていた記憶に、次第にもやがかっかていったような気がしなくもない。もしあそこで、「え、ロンドンにいたって?何言ってるの、あなたずっと東京にいたじゃない?」なんて言われようものなら、本気で信じかけてしまいそうにならなくもなかったかもしれない。手元にあるRCAの学生証とオイスターカード(イギリス版のPASMO)が、ほぼ唯一物質的な証拠として、頼りなくその記憶を支えていた。

原因をああだこうだ唱えるのはそう難しいことでもないかもしれないが、一つの解決しなくていいおはなしとして、これを記録しておきたいと思った。さて、二度寝して今見ている白昼夢はというと、これがもう暫くは、覚めてくれそうにはありません。

時計屋

7分ほどの徒歩と若干のバス待ち時間を除けば、バス一本で大学に行けてしまう今の家。徐々に行動範囲が広がっていくにつれ、都心から付かず離れずのこのロケーションはなかなか悪くないと思えてくる。住めば都なのだと言えなくもないが、それなりでなければ勝手に都が立つというものでもない。

日によってばらつきはあるものの、バスは平均して片道40分ほどかかる。(強がりではなく、これくらいはロンドンの中心部に通う学生にとっては当たり前のことらしい。)そんな道中の真ん中のあたりにアンティーク家具屋がいくつか並ぶ通りがあって、いつも車内からちらっと気になる。先週、その中でも特に気になっていた時計屋に思い切って足を踏み入れてみた。店の前に立って初めて分かることは、そこにあった二店舗とも、まず入り口のベルを鳴らさないと中へ入れてくれない。仕方なくベルを鳴らして奥からの店員を待つものの、自分のようなアンティークなど手も出せそうにない学生が目に入った瞬間に入店を断られるのではないかという、嫌な予感がする。ところが意外にも、ここ2ヶ月半で諦めに慣れきった覚悟とは裏腹に、どちらの店でも快く出迎えてもらうことができた。片方はおそらく職人さん、もう片方は事務系の方で、二人とも流暢に説明をなさる。

大小さまざまの振り子時計に囲まれた空間は独特の魅力があって、それぞれの時計が微かな音でチクタクと秒針を動かしている。うろうろと店内を歩いて自分の場所が変わるごとに、聞こえてくる時計の音がダイナミックに変わる。振り子はせわしなく動くものもあれば、ゆったりとスイングするものもあって、個性の幅がとても広い。機構がむき出しのものに対しては、少し触って邪魔をしてみたくなるような好奇心をくすぐられる。総じて、時間を正確に測ってそれを示すという唯一の任務(であり大義名分)が、それらの反復運動をずっと説得力のある、神秘的なものにさせていた。

洪水礼讃

渡英から2ヶ月半というところで、年末の一時帰国が視界に入ってきた。東京から帰省するときと似たような感覚を覚えるも、実家と東京という関係と比べると、東京とロンドンにはまた別の違いがある。というのも、東京も最初はそうだったのかもしれないけれど、昨今のロンドンでの暮らしには幾分かはっきりとした、ピリッとした緊張感がある。言葉の違い、文化の違いは勿論として、特に日本にいたときとは比にならない程治安悪化が他人事ではなくて、外に出るときには漏れなく警戒心が解けない。公共空間に足を踏み入れた瞬間、自分の本能的な部分がさりげなく黄色信号を灯しているのを感じる。

その警戒心が解ける貴重な場所の一つが大学と言いたいところだが、そんな場所でさえ、先日自分のいるスタジオの水道管が破裂して(正しくは、不調の水道栓を直そうとしたにいちゃんがヘマをしてしまって)、狭くない部屋中に1cm弱ほど水が溜まる上、下の階では天井からちょっとした滝のように水が降り注ぐという笑えない(が笑う他ない)出来事が起こった。あまりの非日常感と陽気な野次馬のおかげで現場の空気はそこまで張り詰めていなかったものの、事後的に知らされた(といっても大学からは結局何のアナウンスもない)学生はもうたまらないに違いなかった。古いものこそ格調高いことの証というプライドの裏にある無数のガタのおかげで、この街は魅力的であり、また憎たらしくもある。イギリスが産業革命を率先して駆け抜けた過去の青春と栄光をまといつつも、その老いがもはや隠しきれなくなってしまった老人だとしたら、日本は将来もう少しばかりヘルシーな老後を迎えてほしい。明かりのさえない自室でインスタントの味噌汁をすすりながら、そんなこんな考えるのであります。